Labo_530
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フになって、「これではいつクビになっても仕方ないな」という感覚が芽生え始めました。ただ、周りの人たちは、「1年成績が残せないくらいならまだ大丈夫」と慰めてはくれていて……。いよいよと実感したのは、2020年のシーズンを一軍登板わずか5試合1勝で終えた、12月の契約更改でした。大幅減俸を提示され、もう1年のチャンスはもらえることになったんですが、その連絡を受けたときの夜は、どこででも爆睡できる僕が、一睡もできませんでした。2021年、背水の陣の覚悟でシーズンインされるつもりが……。岩田 そうなんです。最後のシーズンになるに違いない、精一杯、感謝の気持ちを込めて投げ切ろうと決めた矢先の1月6日、新型コロナウイルスの陽性反応が出てしまいました。1型糖尿病を抱えている僕は、基礎疾患を持っているということで、人一倍気を遣って生活していたのですが、なるときはなるんですね。そして、病気を考慮してすぐに入院。1型糖尿病は血糖値を下げる働きをするインスリンをつくる機能が破壊される病気で、ましてや入院中は運動量が減って、高血糖になる確率が上がってしまいます。僕の場合は、病院で用意してくださった部屋で、毎日1時間ほどジョギングをしていましたが、その程度の運動では血糖値を下げるまでには至らず、入院中の血糖値コントロールには苦しみました。その後、少しずつ闘争心のようなものが感じられなくなっていったのですか。岩田 若返りを図るチーム事情もあって、僕にとっての「秘策」を提示することに決めました。それは中継ぎ挑戦。その希望を首脳陣に伝えてみると、あっさり認めてもらうことができ、6月には二軍戦でしたが、中継ぎ登板としてスタートしました。二軍とはいえ、中継ぎ転向後は6試合連続無失点をマークし、7月には一軍昇格も果たしました。8月中旬からの後半戦に入るころには、再び二軍に戻り、シーズン終了まで一軍に戻ることはできませんでした。2021年11月、高校2年生の冬から――― ―6賞」を受賞されました。「ガリクソン賞」ずっと欲しいと願っていた「ガリクソンは、1998年に制定された賞で、賞の冠 念願だった歴史ある賞 ﹁ガリクソン賞﹂を受賞となっている「ガリクソン」とは、かつて大リーグや巨人で活躍した1型糖尿病患者のビル・ガリクソンさんのこと。これまでもスポーツや文化、科学、芸術といった各部門で社会貢献した1型糖尿病患者が、歴代の表彰者に名を連ねていますね。岩田 なぜ僕が「ガリクソン賞」の受賞を目指していたかというと、2つの理由があります。その1つは、ガリクソンさんは僕の野球人生の師だからです。僕が1型糖尿病を発症して、野球が続けられるか不安な気持ちで一杯なときに、担当医の竹川先生が手渡してくれたのが、『ナイスコントロール!~ガリクソン投手のおくりもの』(医歯薬出版)という本の一部をコピーしたものだったんです。「1型糖尿病患者だってできるんだ。いつかこの賞を取る」と心に決めていたんです。2つ目は、同じ1型糖尿病患者の元エアロビック競技選手の大村詠一さんが、僕より先に受賞していたので、ぜひとも続きたかったんです。僕より2歳年下の大村さんは、8歳のときに発症したそうですが、発言が前向き。僕は大村さんのアスリートとしての姿勢と人間力に、ものすごく感化され、励まされました。血糖値コントロールをしながら16年間投げ続けられたのは、年下の大村さん、そして同じ野球人のガリクソンさんの無言の教えが大きかったと思えます。「ガリクソン賞」受賞は、1型糖尿病の啓発活動への貢献度も評価されてのこと①マイ・ファミリー。いつも明るく笑い飛ばして支え続けたのが妻の美佳さんと3人の子どもたち。「子どもたちはいつだってパワーの源でした!」 ②大恩人の大阪桐蔭高校野球部監督で担任だった西谷浩一先生と ③プロ野球選手の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリット賞」。2017年12月、1型糖尿病の啓発活動に対して受賞した●②●①●③2023.03 – LABO ■

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