Labo_532
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れるようになっていく中で、衛生検査所の存在意義は明確に示されるようになり、検査という立場で医療に貢献する地位が少しずつ築き上げられていきまし組織化に向けて具体的に動きはじめたのは、1969年の九州地区臨床検査協会の設立でした。臨床検査の啓発、普及を図り、地域住民の健康保持に寄与するという目的に沿って、独自の精度管理をはじめとする協会活動を開始したのです。九州での旗揚げを機に、神奈川県、東京地区、札幌と、組織化の機運が高まっていきます。時を同じくして、1970年の「臨床検査技師・衛生検査技師等に関する法律」改正にともない、71年1月1日から「登録衛生検査所制度」が創設されました。法的にも衛生検査所の存在が明確になり、各地域での組織化の動きが活発化します。九州、関東(東京、神奈川)、札幌、大阪の各地区検査協会が全国組織の結成へ向けて発起し、この動きに兵庫県も加わって、1973年3月10日、全国臨床検査所協会が発足しました。全国組織の協会発足により、衛生検査所業界は、それまでの施設中心の〝点〟としての動きから、全国レベルの〝面〟としての活動へと移っていきました。1974年9月には、協会に加盟する施設を中心に、互いの検査精度の維持・向上を図るための精度管理調査を実施。この取り組みは現在も積極的に行われており、今年で49回を数えます。そのほか、78年11月には協会紙『ラボ』を創刊し、地方の検査所にも協会活動の情報が共有されるようになりました。その後、開講、11月には1回目の「臨床検査普及月間」を実施するなど、〝面〟としての活動を積極的に行い、現在の協会運営の基盤を盤石なものとしました。1980年に入ると、臨床検査の近代化・自動化の流れが本格化し、検査所業界の変革、成長が速度を増していきます。一方で、衛生検査所の登録義務化の取り組みも地道に進め、1979年には登録衛生検査所は429施設となりました。そして、1980年5月、京都で開催された定期総会において、協会の名称を「日本登録衛生検査所協会」に改称し、その後、法改正により、衛生検査所はすべて登録を要することとなり、これを受けて、81年4月、「日本衛生検査所協会」と改称。法改正を機に、衛生検査所の新規開設が一段と進み、業界は大きな成長期を力強く歩んでいくことになります。衛生検査所の任務はますます重要になってきます。1984年5月には、企業倫理と業務理念を規定した「衛生検査所倫理綱領」を策定。さらに、衛生検査所業界の秩序を保ち、公正で自由な競争を通じて検査業務に取り組むための公正規約を厳正に運用する団体「衛生検査所業公正取引協議会」も設立しました(84年10月)。衛生検査所の社会的地位の向上と、企業倫理確立に向けて、協会の活動は積極的に展開されたのです。協会にとっての次なるハードルは、社団法人化の実現でした。検査が国民医療の一翼を担うという社会的評価が高まる中、1987年3月25日、社団法人の設立申請が正式に許可され、社団法人日本衛生検査所協会が発足。それにともない、各地区の臨床検査協会は9ブロック(北海道、東北、関東甲信越、北陸、中〝点〞から〝面〞への活動へた4。70年代に入り組織的活動を具体化「日本衛生検査所協会」に改称登録義務化に地道な努力その後、社団法人化を実現〜1980年代「社団法人」化の実現79年4月に「日本臨床検査専門学院」を2023.05 – LABO ■新たなスタートを切った京都での定期総会。中央で挨拶をするのが2代目会長の山本義教氏(1980年)精度管理調査説明会の模様衛生検査所での血清検査風景(1975年頃)1970年頃の検査機器(コールターカウンターS型)

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