Labo_533
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一般的に、「強い」とは勝敗を争う競 ―――4技スポーツでは勝つことを、「弱い」は負けることを意味します。ところが武道的な観点からすると、単純にそうとも言いきれないとらえ方もあるのではないでしょうか。では、真の「強さ」とは一体何なのか……。先生と柔道とのかかわりを振り返りつつ、その本質についてぜひ解き明かしていただきたいと思っています。まず、柔道との出合いからおうかがいできればと。山口 6歳の頃、父が観ていた竹脇無我さん主演の『姿三四郎』というTVドラマで、初めて柔道について知りました。私現役時代、“女姿三四郎”の異名をとり、13歳で全日本柔道体重別選手権に優勝して以来、実に10連覇、また第3回世界柔道選手権︵1984年︶では女子選手として初優勝、さらにソウル・オリンピック︵1988年︶銅メダリストとなり、女子柔道の先駆者としてその黎明期をけん引した山口香氏。引退後はアスリートから研究者の道へと転身し、競技者育成、指導者育成、タレント発掘、一貫指導、女性スポーツ、競技団体マネジメントなど幅広い領域について研究されています。女の子の入門者はたった一人という環境からスタートした柔道とのかかわりを振り返りながら、男女の壁に立ち向かうことで知り得た真の強さの意味とその生かし方、文武両道の意義、さらにスポーツ・武道の価値観などについて語っていただきました。水槽の中に一匹の ピラニアが紛れ込んだ!?女の子の入門者は私一人。でも孤独ではなかった。は、東京オリンピックが開催された1964年生まれで、当時から柔道は日本のお家芸として、さまざまな競技の中でも特に人気があったのではないかと思います。印象に残っているシーンはありますか?山口 三四郎は矢野正五郎に師事し、次第に強くなっていくのですが、あるもめ事から大暴れしたことで厳しく叱責され、その反発心から池に飛び込み棒杭につかまって一夜を明かすというシーンがありました。その後、稽古禁止の日々を経て、さらに身心共に強さを増していくという展開です。だから、強い人間になるためには、ただ単に相手を投げ飛ばすだけではなくて、同時に心も鍛えていかなければならないんだということを、6歳の子どもなりに共感を得ながら観ていたと思います。そして黒帯とか段位への憧れもあって、習字や算盤などと同じような習い事の一つとして、柔道をやってみたいと思うようになりました。当時は、そういった柔道や剣道などを学べる、いわゆる個人経営の町道場も少なくなかったようですね。とはいえ、1970年の頃だと、まだ柔道をやっている女の子は少なかったのではないでしょうか?山口 はい。家の近くにあった西村道場(東京・池袋)を初めて訪ねたとき、「女の子はすぐにやめてしまうからやらせない」と断られました。負けず嫌いだった私は、女であることを理由に断られたことが納得できず、何度も道場に足を運んだ結果、最終的に「女の子でも男の子と同様に扱う。それでもよいのであれば入門を許す」とい“正々堂々”という信念を常に心の中心に!小学校6年。修学旅行での一コマ小学校4年。「活発な女の子でした」2023.06 – LABO ■

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