Labo_533
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― ―――5―頭で理解したことと行動を一致させる“正々堂々”という信念を心の中心にうことで許可してもらいました。女の子はたった一人だったというわけですね。居心地の悪さというか、やりにくくありませんでしたか?山口 私自身はまったく平気でした。孤独でもなかった。そもそも習い事に男も女もないだろうと思っていましたから。ところが、周囲の男の子たちのほうが、まるで水槽の中に一匹のピラニアが紛れ込んでしまったかのような感じで、スーッと引いていくのがわかりました(笑)。女子の試合は、私が中学2年生になった頃に始まったのですが、おそらくその頃まで新たな女子の入門者はいなかったのではないかと記憶しています。そういう意味では、やはり当時の柔道はまだまだ「男性のもの」で、女子と練習するのを好まない男性も少なくありませんでしたね。ということは、試合に出る機会もほとんどなかったのではないですか?山口 男の子に交じって出してもらっていました。とはいえ、私にとって柔道は習い事だったので、試合に出たいとか、勝ちたいとか、そもそも試合があるのかなんて知らないで入門していますからね(笑)。実際、私が学んでいた道場では、練習前後の、人としてどうあるべきかという人間教育、いわゆる訓話を説き聞かせる座学にも熱心だったので、私自身はそれが〝主〟で、むしろ練習はその教えを実践する場という意味での〝従〟ととらえていました。そして、それらを包括したものがお稽古事であると。おそらく、一般的なとらえ方は、その逆でしょう。例えば柔道には、自分より実力が上の相手との練習、自分より実力が下の相手との練習、そして自分と互角の相手との練習に対する心構えとして、「三様の稽古」という教えがありますが、師からそういった学びを得て、実践の場で試してみるのが柔道という習い事だと。頭で理解したことと行動を一致させるということですね。山口 柔道の創始者である嘉納治五郎先生は、柔道の修行について「形・乱取り・講義・問答」の4つの取り組みが重要であると述べています。現代風に言えば、この中の形と乱取りが実技、講義と問答が学科ということになりますが、このバランスが偏ることなく、車の両輪のように進んでいくのが習い事本来のあり方ではないか……。そういう観点からすると、私は指導者にとても恵まれていたと思います。学科を「理」、実技を「業」と置き換えてみると、まさに理と業とを一元的に修練するということですね。山口 ところが、昔も今もスポーツ競技は実技の指導に偏りすぎているのでは……。体罰などの問題が今なお後を絶たないのは、こういったところにも原因があるのではないでしょうか。また、スポーツの活動中には傷害(障がい・外傷)の発生はつきものと言われますが、私は「理」の教えをしっかり守っていれば、それは最小限に抑えられるものだと思っています。私の自慢は、現役時代に負った大きな怪我はたった1回のみ、試合中に手を脱臼したことだけでした。もちろん、身体が丈夫だったということもあるとは思いますが、その最大の要因は、師から柔道の理法について学んでいたからこそではないかと。柔道は絶対に怪我をしてはならないし、させてもならない。練習であろうと試合であろうとです。例えば、投げ技においては、相手に技をかけられて身体が〝フワッ〟と浮き上がった瞬間、〝負け〟を意味します。ところが、それに対して「何がなんでも」抗おうとするから受け身を忘れてしまう。そういう意味で、勝ちっぷりも見事だったけど、負けっぷりもまた見事だったという試合を観る機会は少なくなった気がしています。一方で「何がなんでも」と思う姿勢は、最後まで決して諦めない精神力を培う全日本の大会では敵なしの時代が続いた全日本柔道女子体重別選手権(50㎏)に初優勝(1978年)。以降10連覇を達成「小学生時代の大会の写真です。男の子の中の一匹のピラニアでした!」■ LABO – 2023.06

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