Labo_535
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■LABO – 2023.08ちへの指導を始められます。安里 学生時代もちょこちょこ教えていましたが、卒業後、まだ教員にはなっていなかったときから、辺土名高校のコーチとして指導に入りました。指導に入った当初から、「参加することに意義がある」では面白くないと思っていましたし、それまでに悔しい思いをたくさんしてきましたから、勝ちたい、いいチームにしたい、能代工業のようにやる気に満ちあふれた集団をつくりたい、そんなことばかりを考えていました。沖縄県には本土の情報がまったく入って   ―   5的な方向性がなかなか見えてこない。雲をこないので、計画を立てるにしても、具体つかむような感じでした。でも、本土の大学での4年間の経験がありましたから、日本のバスケットの流れを少しは感じていましたので、一つひとつでしたが、こうすれ指導するうえで、何を第一に考えましたか。辺土名旋風を巻き起こした1978年の全国高校総体の前には、ある目標を掲げていたそうですね。安里 「日本のバスケットボールの方向性を示す」と日誌に書きました。人から見たら笑われるくらいの目標ですが、逆にエネルギーが湧き、サイズありきだった当時のバスケ界に、新たな形を示すことができたと思っています。倒能代工」と書いた掛け軸を机の前に掛けました。他の先生からは「若造のお前にできるのか」なんてあきれ顔で言われましたが、10年目には、能代工業をうそ偽りなく打倒! 人の思いをかなえるには10年かかるといわれていますが、一生懸命やって、笑われながらでしたが、その結果を出すことができました。――目標を掲げ、諦めないでやり続けることは、本当に大変だと思いますが……。私の場合は、バスケットが心底好き安里 で、勝ちたいという気持ちが後押ししてくれていると思っています。ただ、やり続けるのは確かに簡単なことではありません。私は、日々ワクワクしてコートに立つことを心がけました。「好きこそものの上手なれ」といいますけど、好きであればワクばできるのではという道がだんだん見えるようになっていきました。そんなとき、バスケットボールの月刊誌に『ファイアーハウス・システム』という「速攻より早い超速攻」の記述があって、これだとピンと閃いたのです。このシステムを徹底的に練習に取り入れました。――そして、指導者になって3年の1978年、山形で行われた全国高校総体で、辺土名高校を全国3位、特別敢闘賞に導きました。今でも多くのバスケット・ファンに語り継がれる辺土名旋風ですね。安里 わがチームの平均身長は165センチ。出場チームの中でもっとも低い選手たちは、オールコートでの激しいディフェンスに加え、相手選手がシュートを放つと、瞬時にオフェンスの態勢を整える「超速攻」を習得して、全国に辺土名旋風を巻き起こすことができました。何度も言いますが、「参加することに意義あり」では本当に面白くない。全国大会の素晴らしい舞台で勝つにはどうすればいいのか、その舞台で何かを絶対にやって帰りたいと常に考えて計画を構築していましたから、その成果が実った形になりました。構築した計画をどんどん出したら、上手くはまったという感じでした。――その後、安里さんが率いた国体男子成年チームは全国3位(1985年・鳥取)、1991年には、赴任からわずか3年目で北谷高校が全国高校総体(浜松)3位の成績を収めました。笑われるくらいの目標を掲げワクワクしてコートに立つ赴任先では常に上位入賞を果たす30歳で教員に正採用されたときも、「打

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