Labo_536
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令和4年度第23回一般公募エッセイ平野幸(59歳/東京都)「検査がくれたもの」入賞作品紹介努力賞自分が初めて検査技師さんのことを意識したのは高校1年生、16歳のときであったと思います。もう40年以上前のことになりますが、毎年の身体検査のときには検尿や検便を提出していました。検尿や検便、とりわけ検便を提出する日は、クラスでも緊張感があった覚えがあります。「おい、今日は空気がくせえなあ」と髪の毛にそりを入れた不良男子生徒が、みなを笑わせます。保健委員の生徒が、検体の入った容器を箱に集めるのですが、誰も提出しようとはしません。とりわけ女子生徒は担任の教師にうながされても、恥ずかしがって顔をうつむけています。誰も出そうとしないので、しょうがなく私は席を立って、自分の便の入った容器を保健委員がもっている箱の中に出しに行きました。そのあとは怒涛のごとく、男子が争うように提出しに行きます。行きません。担任教師はとうとう怒り出してしまいました。するとクラスで一番の美少女と評判の生徒が、容器が見えないようにちり紙で包んで提出一番乗りをしました。今度は女子が怒涛のごとく、ちり紙に包んだ容器を出しに行こうとします。てください」と注意の大声をあげました。セーラー服の女生徒たちは、そのちり紙をさも汚そうにゴミ箱に捨てに行きます。検便を出すことは当時まだまだ検査のためという意識が低く、汚いものにはしかし、女子はまだ誰も出しに保健委員が「ちり紙は取り除いふたをしろという意識だったのだと思います。花も恥じらう乙女たちから、こんなにも嫌われている汚くて臭い検便や検尿を検査するのは、どんな人たちなんだろうと、そのとき初めて意識しました。それから40年がたち、私は職場の検便で潜血反応が陽性となり、大腸内視鏡検査を経て、大腸がんの手術に至った人間となりました。あと数か月遅れていたら、手遅れになっていたかもしれなかったそうです。きっかけとなったのは、一枚のトレース紙に印字された多くの検査項目の中の便潜血(++)の文字でした。保健師さんから内視鏡検査を促されて、総合病院の消化器外科に行きました。内視鏡検査を終えて帰る道すがら、臨床検査室というところを通りかかったとき、無意識にその中をのぞいていました。多くの検体が並ぶなか、検査技師さんたちがスピッツをていねいに扱って、ひとつひとつの容器から検体を取り出し、試薬につけていました。高校生のときの自分の便も、あのようにして技師さんたちがていねいに扱ってくれたんだろうと思うと、とても胸が熱くなりました。臭い臭いと騒ぎ立てていた高校時代、歳をとった今も毎年ドキドキしながら検便を出しています。でも今、その検査で自分は命をつなぐことができています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。検便はいつもドキドキ、技師さんありがとう11■ LABO – 2023.09

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