に積み込む日雇い仕事をしていました。過酷な仕事でしたが、戦地に行って子どもたちに会うという思いで乗り切ることができました。戦争が続く限り、現地に足を運び自分の目で確認する。そこでシャッターを切る。フリーの戦場カメラマンとして一番大事にしてきたことです。――2010年ごろからは、バラエティ番組などメディアでも活躍されるようになりましたね。渡部 最初のきっかけは、さまざまな職業の人が仕事の裏話を話す深夜番組に呼んでいただいたことです。それからほかの番組にも呼んでいただくようになったのですが、当時はアフガンの前線から戻ってきたばかりで、テレビに出演してもいいものかと悩み、僕の写真の先生(フォトジャーナリストの山本皓一氏)に相談したんです。すると「せっかく声をかけていただいたのだから、まずはやってみたら」と言っていただき、勇気をもらいました。――反響はどうでしたか?渡部 日常がひっくり返ったような感じです。テレビって本当にたくさんの人が見ているんですね。今はさまざまなメディアがありますが、当時はまだテレビのうねりが強いときでしたので。最も嬉しかったのは、子どもたちに写真を見てもらう機会が増えたことです。それまでは雑誌や新聞でしか発表していなかった写真をテレビでも紹介してもらって、子どもたちにも興味を持ってもらい、学校での講演を依頼されることも増えました。写真を通して戦場の子どもたちと日本の子どもたちの懸け橋になれたようで嬉しかったです。――もともとバラエティ番組などはあまり見ていなかったのですか?渡部 大好きで見ていました。実際に出演して感じたのは、芸人さんのすごさです。素人の僕が引き立つように助けてくれたり、話しやすいように会話を組み立ててくれたり。見事でした。――テレビでの渡部さんといえば、ゆっくりとした語り口。戦地での経験なども影響があるのでしょうか。渡部 幼少期から話すスピードもゆっくりで、ライフスタイルものんびり。ケンカもしないタイプでした。実は戦地で出会った中東やアフリカの人たちもゆったりしていて、やわらかくて、やさしくて……。若い青年でもカッコつけたり、タフさをアピールしたりせずに落ち着いているんですね。その雰囲気があったからこそ、シャッターを切ることができたので、僕自身もこのままのペースでいいのだとより思うようになりました。――海外の人たちと比べると、日本人はせっかちだと感じますか?渡部 朝は何時に起きて、何時に学校に行って、何時にごはんを食べて、何時に寝るというように、決められたスケジュールの中で動くライフスタイルですよね。海外も都市部はそうだと思いますが、僕が見てきたような中東やアフリカは、お昼くらいから日が沈むまで、お茶を飲んで、井戸端会議をしていますね。家族や親族とのつながりが密で、日本人から見ると疑問に感じるくらい、とにかくずっと話しています。――50代になりましたが、健康について意識されていることはありますか?渡部 一番気をつけているのは、食事です。20代のときはコスト削減のために、断食状態でとにかく食べなかったんです。それでも体力を保つことはできましたが、マラリアなどいろいろな感染症にかかってしまいました。先ほどイラク戦争が戦場カメラマンとしてのターニングポイントだったと話しましたが、食生活についてもそのタイミングで変わりました。イスラム教を信仰する人たちに共通しているのですが、朝と昼にパワーがつくようなものをしっかり食べて、夜はフルーツとお茶などで軽くすませるんですね。イラクにいたときはそうせざるをえなかったわけですが、そのリズムを続けると睡眠が安定して、気 6バラエティ番組に出演して最も嬉しかったこと世界から戦争がなくなり学校カメラマンになることが夢2024.03 – LABO■パキスタンの爆破テロ事件で家族を失った女性たちイラク戦争の混乱が続く中、誕生した赤ちゃんを見つめる母親イラク戦争でアメリカ軍兵士に語りかけるイラクの子どもたちアフリカ中東部ウガンダ取材でカメラを構える
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