Labo_No.556
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患者を見つめるまなざし毎年受けている健康診断。去年までは、最低限のコースを選んでいた。「このオプションは、削ってもいいかな……」お財布と相談し、若さを理由に目をつむる項目も多かった。30歳を迎えた今年も、まだまだそのつもりでいた。機転となったのは、誕生日を迎えてすぐのこと。実家の母が、突然倒れた。原因はくも膜下出血。為す術もなく、母はそのまま帰らぬ人となった。四十九日を過ぎたころ、ポストに分厚い封筒があった。それは、健康診断の問診票。「まだ、検査の項目は増やせますか?」気づけばすぐに、電話で問い合わせていた。いつもは迷わず削っ思わず、背中が半分浮いた。そんなことまでわかるなんて。「今のところ、心配ありませんよ」「よかった……」ほっとして検査の担当の方を見ると、どこか母に似た、落ち着いた年頃の方だった。「お子さんがまだ小さいのに、検査をたくさん受けられてて……大変ですね」るのは、やはり珍しいのだろうか。その慈愛に満ちた声に、つい、心の内をぽろりと口にした。「実は、母が先日急に他界してしまって。自分も不安になって、健診をしっかり受けてみることにしたんです」改めてその事実を口にすると、まだ癒えない心が震え始めた。「そうでしたか……。それは、おつらかったですね」優しい言葉に返事もできずに、唇を噛みしめながら天井を見つめていると、検査の担当の方が、さらにこう添えた。「お母さん、娘さんが検査を受けてくれて、きっと空で安心していると思いますよ」検査室で、あんなに泣くことになるとは思わなかった。たった十分ほどを共にした、あの暗くて狭い検査室。それでも、あのときの検査の担当の方が、どんなまなざしで患者を見つめていたのか、私にはきちんと伝わった。その日、検査後のアンケート用紙に、その方の名前を書いて帰った。「ありがとうございました」だけではない。「あなたに診ていただけてよかったです」と、書き添えて。ていた脳の検査に、血液検査のオプション……。財布の紐は、ここぞとばかりに緩めきった。健診は、長丁場の覚悟となった。んだ問診票を手に、広い施設の中をめぐる。狭い部屋だった。緊張しながらベッドに横たわっていると、検査の担当の方が、慣れた手つきで機械を操作しながら言った。「お子さんがいらっしゃるんですね」「はい」「授乳って、最近までされていましたか?」「半年くらい前までですかね」「そうなんですね。エコーに、残った母乳が少し映っていますよ」そうして、30歳になって初めてのびっしりと「受診」に〇印が並乳がんの超音波検査は、暗くて岡桃子(33歳/愛知県)令和6年度第25回一般公募エッセイ入賞作品紹介「検査がくれたもの」優秀賞 ■ LABO – 2025.05 30歳で、これほどの検査を受け11

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