Labo_No.560_re
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虫の知らせと一本の電話手術後、感謝を伝えるためクリ彼によると、私と同じ検査を受私は他人事とは思えず恐る恐る「よかった、やっとつながった」滅多に取らない固定電話に出ると、聞き覚えのない声の男性が安堵して呟いた。今から約20年前、東京で仕事に恋愛にと、独身生活を満喫していた私は三十路目前だった。虫の知らせか、無症状だったが一度だけ検診を受けようと婦人科へ行ったのだ。その電話は、結果を聞きに来るよう院長からの連絡だった。通勤途中にあるクリニックだったが「いつでも行ける」、「私に限って何かあるわけがない」といつも素通りし、随分長い間放っていたのだ。医師からの連絡とは余程の結果だろうが、電話では教えられないという。翌日慌てて彼を訪ねた。子宮頸部高度異形成クラスⅣ。「その人、どうなってしまうんですか」彼は静かにきっぱりと言った。「かわいそうだけど、このまま放っておけば子宮全摘。子どもがほしくても産めないよ」私は2人授かった。手術の影響による切迫流産で入退院を繰り返したが、出産も果たした。虫の知らせと医師の電話がなければ、その2人の子どもたちは幻だったかもしれない。私が「もうひとりの女性」になっていた可能性があるのだ。運命の分かれ道だったろう。それから私は定期健診を欠かさない。私だけでは失っていたかもしれない子宮を、あの院長や手術の執刀医らに守り抜いていただいたのだ。幸いにも特定の年齢層に対し、十数年前から公費助成で子宮頸がんのワクチン予防が始まった。副作用問題があるが、長年の研究で因果関係はないと証明された。今年成人する娘はすでにワクチン接種を済ませた。可能な限り予防することはもちろんだが、これから何回も訪れるだろう娘の人生の分岐点で、私は強くすすめていくつもりだ。「検査」つまり、診察台に乗り、結果をきちんと受け取ることを。彼女の子宮の運命を、虫の知らせと一本の電話という医師の良識的な行動だけに委ねるわけにはいかない。なぜなら目の前に「検査」という何物にも代えがたい選択肢があるのだから。子宮頸がんの前がん病変が見つかった。それから約1年、私の多忙な生活に合わせて、毎月の細胞診検査で病変を取り除きながら経過を見守ることになった。すべてを取り切れず、医師に紹介された大学病院で円錐除去手術を受けた。私の子宮は救われた。「君はラッキーだったね。本当によかったよ」ニックを訪れた私に、院長は笑顔を向けた。彼は単に医師ではなく、私の恩人になっていた。けた女性がもうひとりいたらしい。検査結果が悪いうえに、彼女も来院せず、しかも音信不通で行方がわからないという。たずねた。磯田和美(51歳/大阪府)令和6年度第25回一般公募エッセイ入賞作品紹介「検査がくれたもの」努力賞■ LABO – 2025.0911

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