検査が教えてくれたもの私は健康にはすこぶる自信があった。退職後始めた野菜作りの仲間たちも、古稀を超えてなお元気だ。土を耕し水を運び収穫を楽しんでいる。時々体調の話は出るが、一人が健康診断は受けるとかえって具合が悪くなる、などと嘯うぶくと皆が賛同して笑うのだ。妻に検査を勧められても、自分は長生きして呆ける家系だと応える。それも本気だった。そんなだから、夜中トイレに起きる回数が増えても、周りが俺も同じだ同じだというので年のせいにして。しかし、すぐに家に着くからと我慢できたものが、漏れてしまうほどになった。さすがにまずい。妻に黙って、そういう場合に対応する下着を買った。ネットで調べると飲み薬から薬草までいうがない。泌尿器科の先生には感謝しかない。もしあの時検査を受けていなかったら、この3か月とは比較にならない辛い未来が待っていただろう。新しいパンツに気づいて密かに心配していた妻にも、頭を下げるしかない。あの後、畑仲間にも検査だけは受けたほうがいいと繰り返している。皆、身近で起きた例に頷くようになった。すぐ検査を受けに行った者もいる。思うに、検査の結果を待つあの時間が私に教えてくれたのは、70年余生きてやっと気づいた自分の甘さである。甘さついでに、実はアルコールを断っていた間、手が震えることも幻覚もなかった。自分がアル中でないことを知れた、それがおまけの幸いだった。と、先生がちょっと深刻な顔をしている。PSA検査の値が高すぎると言うのだ。5を超えるとがんの疑いがあるそうだが、18もあった。私は言葉が出なかった。きっと青ざめていただろう。その後の3か月はまさに嵐だった。がんセンター紹介、レントゲン、MRI、心電図、循環器・麻酔検査、針生検入院、CT・骨シンチ……。検査をしては、結果を聞きまた次の検査へ。50年以上ほとんど休みなく続けた晩酌も止め、医者にもらった冊子は穴が空くほど読み、ネット空間をさまよう。元々根拠のない自信だった。覚悟があったはずもないのだ。やはりがんがあった。だが、転移なく手術ができる状態と知って、それで本当に一息ついたのである。運がよかったとしか言いよろいろあって、どれも高い効能が謳われている。だが正直これという決め手がない。しかも結構な値段である。ンを受けた駅前の泌尿器科が頭に浮かんだ。あの時は近場で空いている医院を当たっていて、偶然見つけたのである。他に泌尿器科は知らなかった。て受診した。超音波で前立腺肥大と診断。薬も貰う。やれやれである。その時、私が市の健診も受けていないことを知った先生が、「うちでも血液検査ができますよ、肝炎だとかいろいろわかります」と勧めてきた。これは断りにくい。私はハアと言って受けた。これが幸いだった。ふと、前に一度コロナのワクチ悩んでいる暇はない。思い切っ1週間後、結果を聞きに行く池田洋一(75歳/神奈川県)令和6年度第25回一般公募エッセイそ 入賞作品紹介「検査がくれたもの」努力賞■ LABO – 2025.1011
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