放射線技師が指摘してくれたおかげで、がんを発見できた■LABO – 2025.11がんサバイバーはみんな言いますが、検査結果を聞くのは毎回怖いです。――悪性リンパ腫のときも、診断がつくまでに時間がかかったそうですね。笠井 最初に症状が出てから、4カ月かかりました。悪性リンパ腫はできた場所によって症状が違うので、診断が難しいのです。私の場合は排尿障害や腰痛があって、当初は前立腺肥大症と診断されました。でも治療をしてもよくならず、別の病院でCT検査を受けたら、放射線技師の方から「骨盤のあたりに影があり、がんの可能性がある」という指摘が上がってきて。医師からほかの病院の腫瘍内科を紹介してもらい、そこで悪性リンパ腫と診断されたのです。影があった部分は検査対象ではなかったのですが、たまたま技師の方が見つけてくれて。とても感謝をしているのですが、お礼を言えていないのです。――確かに、一般的には検査後、放射線技師の方に会う機会はないですね。笠井 私の運命は放射線技師の方によって変わったのに、直接会ってお礼を言えないなんて。この仕組みには、問題があると思っています。放射線技師の方も患者から直接感謝の気持ちを伝えられるような機会があると、さらにやりがいをもって仕事に取り組めるのではないでしょうか。今は病棟に薬剤師の方が来るようになりましたが、放射線技師の方が来て、撮影した画像について説明していただくような時間があってもいいですよね。用していたせいか脳炎など深刻ではなかったのですが、私の場合は目の神経が影響を受けて、右目が開かないという合併症が起きてしまったのです。――今はどのような治療をされているのですか?笠井 まずは帯状疱疹ウイルスの治療をして、再度腰椎穿刺をしました。その結果、ウイルスが残っていないことがわかったので、今は目が開くようにするための治療を受けています。――帯状疱疹は軽くすむ人もいますが、笠井さんの場合は重症化してしまったのですね。笠井 こんなに怖い病気だとは思っていませんでした。目が正常に開くようになるまでは、半年から1年くらいかかる可能性があると言われています。気長に治していこうと思っています。――ご家族も心配されたのではないですか?笠井 実は地元の眼科で帯状疱疹の可能性があると言われたのに、妻に心配をかけたくなくて伝えずに仕事を続けてしまったのです。妻は身近に帯状疱疹にかかった人が多かったので、知識があり、早期の治療が大事だということを理解していました。もっと早くに詳しい検査を受けていたら、ここまで重症になっていなかったかもしれない。私は悪性リンパ腫になってから、講演会5 があって、つらい症状があっても医師に伝などで“脱・昭和患者”を提唱していたのです。昭和世代は我慢を美徳とするところえない傾向がありますよね。だから、つらいことは医師に素直に伝えようとすすめてきたのですが、家族にも伝えることが大事なのだなと。新たな気づきでした。――悪性リンパ腫の再発を一番恐れていたとのことですが、5年以上前に「完全寛解」と言われてからこれまで、常に再発の不安はあったと思います。どのように向き合ってきましたか?笠井 日本人男性が生涯でがんになる確率は約65パーセントと言われています。一方で悪性リンパ腫の再発率は40パーセントとも。再発の可能性のほうが低いのです。さらに悪性リンパ腫の原因はわかっていません。先生からは、診断されたときに「交通事故にあったと思ってください」と言われましたから。だから、予防の方法もないし、ビクビクして我慢しながら生活しても仕方がないなと。働き過ぎないとか、睡眠はしっかりとるといった基本的なことは気をつけますが、自分の人生を楽しもうと思っています。――今も定期的に受診されているのですか?笠井 主治医からは半年に一度でいいと言われたのですが、3カ月に一度診てもらっています。ビクビクするのはよくないと言ったのに、矛盾しているようですが(笑)。でも一度はステージ4までいってしまったので、次は早く見つけたいという思いが強いのです。控室でのオフショットキネマ旬報映画祭の司会を務めた(2018 年)東日本大震災のときも現場に入って取材した(2011年3月)勝利演説を行うオバマ大統領を取材(2008 年アメリカ大統領選挙)
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